ある夜・・・

大河の姿は柳洞寺の自室で床に就いていた。

ここ数日体調が思わしくなく早めに就寝する事にしたのだ。

最近は身体があまり言う事をきいてくれないし、食欲も思わしくない。

だが、医者から言わせれば九十を超えて尚も、これだけ闊達に動き、毎日しっかりご飯を食べれば十二分過ぎると言われたのだが。

「私も・・・ここまでかな・・・」

静かに呟く大河の声に恐怖は無く、ただ、寂しさだけがあった。

長年連れ添ってきた夫の零観は十年前、既に極楽浄土へと旅立っている。

その前日まで大河以上の闊達さを見せていたにも関わらず、翌朝には寝床で眠るように亡くなっていた。

ピンピン元気に生きて、コロリと亡くなる・・・ある意味理想的な亡くなり方とも言えたし年齢から考えても十分大往生と言えた。

また、在職中の同僚であり、この寺で居候から正式に家人となった葛木宗一郎も夫が亡くなった前後に他界、妻であるメディアも後を追う様に亡くなり、そのおしどり夫婦ぶりに誰もが涙した。

それに自分や夫と学生時代からの腐れ縁であるネコこと蛍塚音子もすでにこの世の人ではない。

自分の結婚直後、親密な交際を続けていた常連客と結婚しこちらは二人の息子に恵まれ、長男は実家であるバー『コペンハーゲン』の三代目マスターとして今も現役でカウンターに立っている。

ちなみに彼女の次男と自分の長女が結婚したのだが、結婚を前提とした真剣な交際をしていると聞いた時、『オトコー!!私の娘を奪うつもりかこんにゃろー!!』と叫び、日本刀片手にカチコミを食らわせようとして息子達総動員で止められた(夫はその隣で豪快に笑っていた)のは当時こそ洒落にならない修羅場だったのだが、今となってはいい笑い話である。

義弟であり、かつての自分の教え子の一人である一成も、同時期、彼女が顧問を勤めていた弓道部の部長であり、卒業後も親交が深かった美綴綾子も自分より早く亡くなってしまった。

子供達や独り立ちした孫もひ孫を連れてきてしょっちゅう遊びに来てくれているのだから寂しくは無いはずなのにその心の中には寂寥感に満ちていた。

そんな寂寥感を抱いたまま眠ろうと眼を閉じた時、不意に傍らから

「・・・藤ねえ」

聞いた事の無い・・・いや、どこか昔に聞いたような声が呼ばれた事のないのに・・・いや、これもはるか昔に呼ばれたような気がする呼び方で自分を呼んだ。

横になったまま視線を声の方向に向けると、つい先ほどまで確かに自分しかいなかった筈なのに人影がある。

眼を凝らして見てみる。

どうやら正座をしているみたいだが、体格や声の低さからどうやら男性のようだ。

だが、一体誰なのか皆目見当が付かない・・・筈なのに何故かその人影を見つめているうちに眼から涙がとめどなく零れてくる。

だがその涙は今までのような悲しいものではなく、懐かしさと喜びに溢れたものだった。

なんでこんなにも嬉しくて暖かい涙を流すのだろうかと自分でも不思議だった。

戸惑いながら人影に視線を向けた時、雲に隠れていた月の光がひっそりと部屋を照らし、人影の姿を照らした。

そこに座っていたのは見た目は一番下の孫と同い年の青年の姿、その髪は赤毛を基本としていながら、所々白髪が目立つ。

その眼は穏やかで懐かしそうに自分を見つめている。

その眼を見ている内に大河の中で何かが弾けた。

「・・・し、ろ、う?」

何故忘れていたのだろうか?

なんで今の今まで思い出せれなかったのだろうか?

一度口にした途端偽りの記憶は崩れ去り、真実が去来する。

「ぁぁぁぁ・・・しろう・・・士郎・・・士郎ぉ」

「藤ねえ・・・」

よみがえった記憶に押し流されるように泣いて自分の名を繰り返し呟く大河の姿に、士郎もまた言葉少なげに涙ぐみながらそれでも嬉しそうに微笑んでいた。









しばし時間が過ぎようやく落ち着いた所で大河が

「士郎・・・久しぶりと言って良いのかな?」

「そうだね・・・ざっと六十年近いかな?最期に会ったのは藤ねえと零観さんの結婚十五周年のお祝いの席だったはずだし」

「そうそう、久しぶりの士郎が腕を振るった手料理に皆大歓声上げていたしね」

「何言っているんだよ。一番大歓声上げて貪り食らっていたのは藤ねえだっただろ?」

「あはは、そうだったっけ?」

「そうだよ。雷画爺さんや一成も呆れ返っていたし」

懐かしそうに当時を振り返りながら思い出話に花を咲かせる士郎と大河。

二人の姿を見ていると半世紀以上疎遠・・・と言うか存在すら忘れ去っていたとはとても思えない。

「でさ・・・士郎・・・」

「ん?」

ひとしきり話した所でややさびしそうな表情で大河が聞いてくる。

「もうさ・・・士郎はもう死んじゃっているんだよね?」

判りきっている事を口にした。

士郎が生きているとすれば齢八十を超える筈で、こんな若々しい姿である筈が無い。

「・・・ああ」

問われた士郎はほんの少しだけ口ごもったが直ぐに短い一言で肯定した。

「そっか・・・そうだよね・・・でね遠坂さんや桜ちゃんにアルトリアちゃん、子悪魔ロリっこも皆いなくなっちゃって・・・」

「うん、それも知っている。というか大丈夫凛達は俺と一緒にいるから」

「・・・そっか・・・ねえ士郎・・・遠坂さん達皆・・・幸せだった?」

「そうだな・・・幸せなのかどうかは判らないけど皆嬉しそうに、楽しそうに笑っているよ毎日」

「そうなんだ・・・良かったぁ・・・でも何で私忘れちゃったんだろう士郎の事とか・・・ううん私だけじゃない・・・一成君も美綴さんも零君もオトコも・・・皆・・・皆・・・」

話していく内に辛そうな、泣き出しそうな表情の大河を宥める様に

「良いんだよ藤ねえ、忘れたのは藤ねえの所為じゃない。色々巡り合わせが悪かったからだけなんだから」

「・・・そうなのかな?」

「ああ、そうだよ。だから、藤ねえが自分を責める必要は何処にも無い。藤ねえは何も悪くは無いんだから」

静かな声であやす士郎の声にようやく大河の表情に穏やかさが戻る。

「ありがとう士郎、もしもさ・・・私に零君がいなかったらさ・・・士郎に実家のお婿さんに来てくれたかもしれないね」

「それは勘弁してくれ。藤ねえの事は好きだけどそれは家族として好きであって、異性として色恋沙汰では見れないから、と言うか零観さん以外で藤ねえを女性として愛する人は出てこないから絶対」

「むぅ士郎ひどい」

「当然だろ。俺は藤ねえを奥さんにもらった零観さんの事今でも、と言うかいつまでも心から尊敬しているし」

そこで言葉が区切られる。

「ふぁ・・・年甲斐もなくはしゃぎ過ぎちゃったかな?すごく眠い・・・」

「時間も時間だし、何よりも自分の歳を考えれば当然だろ藤ねえ。もう眠りなよ」

「うん・・・そうだね・・・そうするね・・・」

布団を直しながら言う士郎の苦言を歳を取った為か素直に聞き入れて大河は横になって眼を閉じる。

「じゃあね・・・お休み士郎、会えて・・・とっても・・・嬉しかった・・・よ」

「ああ、お休み藤ねえ、俺も最期に会えて・・・嬉しかった」

士郎の言葉に重なるように大河は静かにその眼を閉じる。

それと同時に士郎の姿は掻き消えた。

まるでそこに最初から誰もいなかったように痕跡もなく・・・









翌朝、いつもの時間となっても起きてこない大河を不審に思った家人が様子を見に行くと、零観の時と同じく眠るように亡くなっている大河の姿を発見した。

その表情は近年見た事が無いほど穏やかで嬉しそうで、実年齢より10年ほど若返ったようなものだったと言う。

訃報を聞き、家族や親族、更には遠方からも教え子達が葬儀に参列、皆涙を流してその死を惜しんだ。









ロンドン、バルトメロイ別邸。

夜も更け、主であるバルトメロイは自室で静かに本を読んでいた。

「・・・っ」

と、不意に表情を顰めると二、三回短く咳をする。

ここ最近はこんな咳をする事が多くなってきた、ここ最近では頻繁に血が混じった痰を吐き出した事も在る。

急激な身体の衰えも明確に自覚し、自分が長くない事を悟っていた。

魔術で延命処置を施せばまだまだ長命を保てるのだがバルトメロイにそのつもりは無い。

もはや自分は表舞台からは完全に姿を消した人間、今の魔術協会に自分の事を直接知る者はおそらく数えるほどしか残っていないだろう。

そんな自分が長命を保ったところで何を成そうと言うのか?

バルトメロイ家も既に家督は息子のローランから孫に移り、『クロンの大隊』も先日遂に前線を退く事を決断したローランが自ら手塩にかけて育て上げた魔術師に隊長職を託している。

最も託したと言ってもそれは前線指揮官でありローラン自身は後方での総司令官として現役を続ける気でいるが。

このように親から子へ、そして孫へと次代を担う者に未来を託すのは魔術師である以前に人として当然の理である。

現に『蒼黒戦争』時から自分の良き相棒だったロード・エルメロイⅡ世ことウェイバー・ベルベットは自分が院長職を退いた後、自分の代から続けていた魔術協会の大改革の総仕上げに成功させ、自分と並ぶ魔術協会中興の祖として讃えられたが前回と同じく在任十五年で退任、その後は後進の育成に従事、そこは『エルメロイの登竜門』、『ウェイバー学校』等と呼ばれ今でも優れた指導者を輩出し続けている。

また一時期魔術協会を離脱し『蒼黒戦争』終戦後復帰したバゼット・フラガ・マクレミッツは封印指定執行者の育成と同時に執行者の組織を改変、聖堂教会の埋葬機関と垣根を越えた史上初の合同異端討伐部隊『イスカンダルの親征』を発足、部隊は今でも堕ちた魔術師や死徒討伐に猛威を振るっている。

尚、バゼットは後日回想録にて『イスカンダルの親征』発足時、何が一番大変だったかと言えば部隊名を教会にちなんだものとすべきだと言う教会側と魔術によった命名とすべきだと言う協会側の反目で、口喧嘩など日常茶飯事、空中分解の危機に至っては両手、両足の指でも数え切れない程だったと述べている。

後年、これは笑い話の類として一笑に伏せれるのだが、当時は『イスカンダルの親征』部隊発足を白紙撤回すべきなのではと追い詰められる程の酷い惨状だった。

それでもウェイバーの口添えもあってどうにか東西の文化の融合を図った征服王にちなみ協会・教会色を極力廃した命名で半ば強引に事を収めて、今では異端討伐の、何よりも協調と融和の代名詞として畏怖と敬意の象徴として広く世界に名を知られているが、発足当時は半分諦観を含めた納得、半分不満を残す結果ではあったが、これはもう仕方ないとしか言いようが無い。

そんな新しい風を吹かせ、魔術協会、聖堂教会に変革をもたらした同士も一人また一人とこの世を去り、今では自分の他にはウェイバー、バゼット、聖堂教会のエレイシアしか残されていない。

程なく皆この世を去るだろう。

ふとそのような述解に耽っていたバルトメロイの意識をノックの音が現実に引き戻した。

「失礼します母上」

一言と共に入室したのは老年に差し掛かりつつある壮年の男性・・・息子のローランだ。

「どうしたローラン?」

やや不思議そうな声で息子に問いかけるバルトメロイ。

何しろ、この別邸に姿を現すのもそうだが、このような時刻に息子が姿を現すのは極めて珍しい、皆無といっても過言ではない。

「お休み中の所、申し訳ありません母上、今しがた邸宅の結界が異常を検知いたとの連絡を受けましてこちらに参りました。念の為ご注意を払って頂きたく」

そこまで聞くやその眼光に往年の鋭さが甦った。

「ほう、ここがバルトメロイの別宅であると知っての事なのか?」

「いえ、そこまではなんとも判りかねます。一先ず、使用人達は部屋での待機を命じてから眠らせています」

その言葉に一つ頷く。

魔術師で無い使用人達に魔術を見せる訳にはいかない以上、息子の判断は正しい。

「ローラン、賊は今何処にいる?」

「それが一瞬だけ異常を検知した後、忽然と反応は消失しており現状何処にいるのかは・・・」

「既に退去した可能性は?」

「そ・・・」

矢継ぎ早に質問を投げ掛けるバルトメロイと口を開きかけたローラン二人の表情が一瞬で強張る。

いつの間にか部屋の前に立つ気配を察知した為だ。

「一体いつの間に・・・」

驚愕を声の形にして口から漏らしながら母から受け継いだ乗馬鞭を手に母を守るように立ち位置を変更させる。

「ローラン、過剰な守護は無用だ。前線を退いて久しいが、お前に守られるほど衰えてはいない」

「お言葉を返すようですが母上、お体の調子が悪い事は存じています」

息子の言葉に言い返そうとしたその時、ドアがノックされた、一呼吸開けるように三回ずつ。

「??」

予想すらしていなかった事にローランは思わず固まり、ドアの方を見る。

しばし余白を置いて再びノックされる。

先ほどと同じく一呼吸おいて三回ずつ。

少なからず困惑するローランとは対照的に眼を大きく見開き全身を小刻みに震わせるバルトメロイ。

それもその筈だった。

ノックのタイミング、スピード、回数。

その全てがかつてあの男が自分の部屋に入る時にするノックに酷似・・・いや、そのものだった。

そんな筈は無いと己に言い聞かせる。

ありえないと、ある筈が無いとそんな言葉が脳裏をひっきりなしに駆け巡る。

そんな思考をよそにドアノブがゆっくりと回され静かに開かれる。

そして・・・ドアが開かれたと同時にローランは持っていた鞭を取り落としバルトメロイは息を呑んだ。

そこに立っていたのは黒づくめの服装に赤に白銀が無い混ざった髪の若い男・・・

その男の事は良く知っている。

いや知っているのが当然だった。

何故ならば、その男は・・・

「ち・・・ち・・・ちちちち」

ローランはかつて無いほど狼狽し言葉を発する事も出来ない。

「・・・・ぁっぁ」

バルトメロイはといえば言葉すら出ずにその場に立ち尽くしている。

「・・・会わせる顔が無いけど・・・久しぶりと言えばいいのかな・・・バルトメロイ、ローラン」

彼らにとって父であり、事実上の夫であった男、衛宮士郎だったのだから。









もしもバルトメロイが若かりし時であれば恥も外聞もなく泣きじゃくり彼に抱きついて、たとえここに現れたのが復讐の為であったとしても一時の再会を喜ぶなり出来た。

もしも、ローランが幼き少年であった時であれば、少年らしく感情を爆発させて父との再会に喜びつつもあの日、助ける事が出来なかった事を謝罪しただろう。

しかし、良くも悪くも二人は歳を取りすぎたし、何よりも互いに自覚している罪が重すぎた。

身体が、完全に硬直し動く事も出来ない。

目の前の男が死した時、悠久の時を共に過ごす事が出来るかもしれないチャンスが目の前に与えられたにも関わらず、自らに課せられた重責と何よりも罪の意識からその手を握る事無く拒んでしまったように。

「・・・エミヤ・・・許しは請わない。もとより請う資格も無い」

やがて静かに口を開いたバルトメロイの声は狼狽も恐怖もない。

先ほどまでの恐怖に戦いた表情も嘘のように消え去り、静かな覚悟を決めた者だけが発する事ができる顔と声だった。

「私はお前に報復されて当然の罪を犯した以上、どのようにされても当然だ。だが・・・だが、最期に一言だけ言わせて欲しい。お前を死においやったのは紛れもない私の先見の無さだ・・・すまなかった」

その声と表情からしてここに士郎が現れたのは自分の事を見捨てた彼女らへの報復の為なのだろうと確信している様子だった。

しかし、その考えはあっさりと崩される。

「えっと・・・なんでさ」

言われた方の士郎は若き日と全く変わらない仕草と口調であの口癖を呟くと天を仰ぐ。

「??」

予想と全く違う士郎の反応に気が殺がれたのか、バルトメロイは魔術師やバルトメロイ家元当主といったしがらみやプライドから解放された素の表情でぽかんとしていた。

その姿を見た士郎は溜息をつくと

「先に言っておくけど、バルトメロイ、ローラン。お前達を恨むだの憎むだのそんな事はあの日から一瞬だって抱いていないぞ」

「「えっ」」

母と息子が同時に呆けた声を発する。

どうも二人とも士郎に恨まれていない事は予想外もいい所だった様だ。

「当然だろう。お前は俺に幾度も忠告も警告も最終通告までした。そして俺はそれを最後の最後まで無視し続けた。あの結末は成るべくしてなった当然のものであってお前達を恨むのはそれこそお門違いだ。それに・・・」

そこで一息つくように

「それに俺の事を本気で心配してくれた人や俺の息子に逆恨みなんて出来ないし、したくも無いから」

その言葉にはっとした表情を作る。

そうだ、二人が良く知る士郎はこういう男だった。

自分の幸福よりも他者の幸福に価値を見出し、死の瞬間まで自分のあり方を貫き通した。

そんな彼がどうして人を逆恨みすると言うのか。

「・・・そうか、お前はたとえ死しても変わらないのか・・・どうやら私も年老いて耄碌したようだな。ただ一人愛した男の本質をも忘れ去ってしまったとは・・・」

搾り出すようにそう呟くとそっと目頭をバルトメロイは押さえた。

「父上・・・」

「お前も気にする事はないローラン。お前はあの時最善を尽くしてくれたんだ、感謝しかない。むしろお前に詫びないと。最期に嫌なことを押し付けてすまなかった」

士郎は外見上は前例の逆転した息子に深々と頭を下げた。

「父上、では何故ここに?」

と、ふと抱いた疑問をローランは士郎に尋ねた。

「ああ、本来は俺の役割じゃないんだが、ちょっと無茶を言って代わってもらった」

「無茶を言って?」

「ああ」

そう言うと士郎は静かにバルトメロイを見つめる。

「・・・」

士郎の視線に気付いたバルトメロイは士郎を見つめ返す。

互いに見詰め合っていた二人だったがやがてバルトメロイが目を逸らし深く溜息を吐き出した。

「曲がりなりにも神には通用しないか・・・」

「まあな」

「で、私の残された時間はどれ位だ?」

「二時間と言った所か」

「そうか・・・」

「もしや・・・父上、母上は・・・」

「ああ」

主語も何もない簡潔な一言だったが、それで十分過ぎた。

「これを逃せばおそらく・・・いや、ほぼ間違いなく永遠に逢う事は叶わないからな。幸い俺の無茶を向こうが少しは聞いてくれたからどうにかなったんだ」

「そうか・・・そういえばエミヤ、トオサカ達はどうなった?」

「ああ、皆神霊になったよ。俺が言うのもおかしな物だが意思の力って奴をまざまざと見せてもらった」

「そうか・・・一歩を踏み出したのだから当然の事か・・・」

そう言って少しだけ寂しそうに笑った。

「エミヤ・・・最期に一つ・・・一つだけ私の我が侭を聞いてくれないか」

「??まあ、俺に出来る事であれば」

「ああ、お前に出来る事ではない。お前にしか出来ぬ事だ」









それからしばらくして士郎は別宅に併設されている教会にいた。

「・・・」

静かに教会で待ち人を待っていると背後の扉が静かに開かれた。

振り返ると、ローランに手を取られたバルトメロイの姿があった。

若かりし日、身に纏っていた礼装で。

「待たせたなエミヤ」

「別に構わないさ」

「本来であれば花嫁衣裳があれば格好も付くが、生憎こんな色気もない服装になった。許せ」

「仕方がないさ」

そう言って苦笑しながらバルトメロイの手を取りエスコートするようにそのまま静かにゆっくりと歩く。

その姿をローランは祭壇から静かに見つめる。

ゆっくりと時間をかけて身廊を歩き二人はローランと相対するように祭壇の前に立つ。

それを見届ける参列者は一人もいない、だが、それで十分過ぎる。

そもそもこれは誰かに見てもらう為のものではない。

バルトメロイの言っていた最期の我が侭、それはたとえ仮初でも構わないから士郎との結婚式を執り行うと言う事。

「・・・生憎私には神父の口上などは詳しくありません。私自身の結婚式の折のおぼろげな記憶だけですので滅茶苦茶になるとは思いますがご容赦を」

「気にするなローラン、私の私的な我が侭だ」

「ああ」

両親からそう言われほんの僅か表情が和らいだが直ぐに引き締め直す。

「・・・新・・・父上、貴方は隣の母上が永久の眠りにつきもはや永久に会えなくなろうとも母上を愛し続ける事を誓いますか?」

「ああ、彼女の事は永久に忘れない」

最初は普通の結婚式の様に誓いの言葉を言おうとしたローランだったが、慣れない事をするものではないと開き直ったのか、息子として父に問い掛け、父も当然の様に答えた。

「母上・・・母上は例え、間もなく消え去る命だとしても命が終わるその時まで・・・いえ、命が終わろうとも父上を永久に愛し続けると誓いますか?」

「愚問だ・・・この男は私が生涯でただ一人愛した男だ」

続けて母への問い掛けには彼女らしい言葉で返答を返す。

「では指輪の交換を」

そう言うと士郎は手に持つ質素な指輪をバルトメロイの薬指にはめる。

この指輪は士郎が用意したものではなく、バルトメロイが持っていた指輪を結婚指輪の代用として用意したものだった。

参列者も神父も不在、服装もまちまち、指輪は間に合わせ、結婚式としてはどうかと思いたくなるものだったが、当事者達には何一つ問題は無かった。

「では・・・誓いの口付けを」

ローランの言葉に一つ頷くと士郎は躊躇う事無くバルトメロイとの口付けを交わした。

口付けが終わるとバルトメロイの表情から険しさが取れ、士郎もローランですら見た事が無い穏やかで安らかな表情で、士郎の胸に倒れこむ。

そして・・・

「・・・エミヤ・・・ありがとう・・・死に際の・・・老いぼれ・・・の頼みを・・・聞いて・・・くれて・・・もう・・・未練は・・・なにも・・・ない・・・あの・・・時・・・恥も・・・外聞も・・・なく、地位も・・・何も・・・かも投げ捨てる・・・勇気があれば・・・お前・・・と・・・添い・・・遂げ・・・」

そんな事を静かに呟きながらバルトメロイは静かに息を引き取った。

末期にようやく夫婦となれた男の胸で。

「・・・ローラン」

「はい」

士郎は優しく抱き上げると、もはや目覚めぬ彼女を息子に引き渡す。

そしてその手が離れると同時に士郎の姿は薄れていく。

「これでお前とは会うことはないだろうなローラン。月並みだけど・・・残りの生涯、悔いの無いように生きていけ」

「はい・・・はい・・・父上・・・」

静かに涙を流しながら父から眼を離す事も無くじっと見つめ続ける。

これが士郎と永久の別れになる事を悟っているのだろう。

涙交じりの返事に士郎は一つ頷いて肩をぽんと叩く。

それと同時に士郎の姿は掻き消えていた。









「ただいま」

神界に戻り、無理を聞いてくれた友に礼を言ってから士郎は家に帰宅した。

「士郎お疲れ、でどうだった?」

「ああ、二人とも見送ったよ」

彼を出迎えた妻の一人の問い掛けに士郎は静かに答える。

「そうですか・・・ではタイガもバルトメロイも・・・」

「判っている筈だったんだけどな。俺が人を止めたと言う事はこういう事だって言う事は・・・」

別の一人の言葉に答えになっていないような返答をしてからそっと目頭を押さえる。

「悪い・・・少し一人にしてくれ」

そう言ってから士郎は自室に向かった。

「今夜だけはあいつ一人にしてやった方が良いわね」

「えーっ!!今夜は私の番よ」

「明日にずらしなさい。あんなモチベーションのあいつじゃ盛り上がらないでしょ」

「むぅ、判ったわよ。その代わり明日はシロウをメロメロにしてやるんだから!!」

後ろから聞こえたそんなやり取りに士郎は思わずくすりと微笑む。

どのような事があろうとも、当然のように帰れる場所があり、自分の帰りを待っていてくれる相手がいる。

それがどれだけありがたい存在なのかを改めて再認識したのだから。

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